忍者ブログ
なんだかよくわからないけど、何かをやってみるのです。 ちなみに右の絵はTRPGで作ったキャラのおっぱいです。
×

[PR]上記の広告は3ヶ月以上新規記事投稿のないブログに表示されています。新しい記事を書く事で広告が消えます。

長文になります。Twitterではつぶやく程度の文字数には絶対収まらないので、ブログにて記します。

アニメ「ソードアートオンラインⅡ」が最終回を迎えました。

※ここから先はネタバレを含みます。

小説を読んだ方や、リアルタイムでアニメを観た方ならすでにご存じだと思いますが、「SOAⅡ」の後半は、「マザーズ・ロザリオ編」というエピソードで、ある病気の末期患者である少女ユウキが、ヒロインのアスナと出会い、死を迎えるまでの日々を綴った話になります。

私は小説を読んだことがなく、アニメから観たクチなので、最初のうちはユウキのCVが悠木碧さんだったのもあり、「ユウキ明るくてかわいいなー」みたいに思っていました。
しかし、ユウキがAIDSの末期患者で、メディキュボイドという医療用フルダイブ装置を利用して、電脳環境の中で3年以上もの闘病生活をしている、終末医療の話であることを知った時、衝撃が走りました。

だいぶ前に、このブログでも公開したことがありますが、MMOの中で仲良くなった人が重篤な病気の末期患者であることを知らずに付き合っており、そして結局亡くなってしまうという、アスナと同じような経験を私もしていました。
しかもこの10数年の間に、二人。同じゲームの中で、でした。
そのうち一人には、アスナが最期にユウキに言った言葉と同じようなことを言った覚えがあります。「またどこかで必ず会える」と。

彼らと同じように、ユウキもまた、最後には死んでしまいます。
詳細な描写は長くなるので控えますが、私も感動はしました。うっかりユウキのことをwikiで調べてしまい、彼女の結末がわかっていたのにもかかわらず、涙が止まりませんでした。
ですが、私がこの作品を含めた、「病気(特に重篤な末期症状)をテーマとしたエピソード」に思うことは、「好きになれない」ということです。

なぜなら、大抵の結末はその患者であったキャラクターは、「手遅れで死んでしまう」からです。

ユウキはかわいいし好きなのですが、この話の「展開」自体が嫌いです。
それは、アスナと似たような経験をした自分のトラウマのような感情でもあるのですが、なにより「末期患者は死んで感動を与える」という展開が気に入らないのです。
人が死んだことで、感動などまずありえない。あるのは残されたものへ与えられた深い悲しみ、後悔、喪失感などどいった、ネガティブな感情しかありません。
「彼女もこうやって一生懸命生きてきたのだから、頑張ろう」とかいうのは、そういった感情を受け止めた人が時を経て培っていくものであって、フィクションのネタにされていいものではないと思っています。

そもそも、フルダイブという便利な環境があり、なにが起きても不思議じゃない設定の世界なのだから、「精神だけALOの世界に残る」とか、そういった、多少明るめの選択肢もありだったと思います。人間並みの感情表現を持ち合わせたAIのユイという特殊な存在がいるのだから、主人公のキリトが「その逆をやってみる」的な展開でうまくいく、みたいな。そういう感じになっても誰も悪くは言わなかったでしょう。

暗いテーマのエピソードなのだから、最後はなにかしらハッピーエンドにしてほしかった、と私は思います。シウネーの病気が完治した、というのがささやかながらそれにあたるのかもしれませんが、ユウキが死ぬのであればあまり意味はないし、そういう「不思議」はユウキにこそ起こって欲しかった、というのが私の見解です。
これはもちろん、すでに出版・放映されてしまった結末を否定するものではないですが、少なくとも「私は嫌いな話」です。自分の経験したことと似たような展開にされたことが、受け入れがたいわけです。

まぁこんな場末の、ブログという時代遅れのコンテンツなど、見る機会もないでしょうが、もしSAOの筆者である川原礫先生が見る機会があったのであれば、こういう人もいるのだ、ということを心に留めておいていただきたいものです。

最後に言っておきますが、私は決してSAOという話が嫌いではなく、むしろシニカルで、スリルがあり、多少吐き気を覚えるような世界観は好きな方です。その中でクラインが生き残っていたことにはそこそこ感動しています。
だからこそ、「マザーズロザリオ編」には何か、反発せざるをえなかった、という自己分析にて締めさせていただきます。

拍手[1回]

PR
以前、「CGでわしゃわしゃ動くメカ」が出てくるアニメの話をしましたが、
今日でもアニメーション作品には3DCGがふんだんに使われています。
最近は、人間型のキャラクターにもCGが使われていることがあり、
プリキュア」シリーズのEDと「碧き鋼のアルペジオ―アルス・ノーヴァ―」はその典型といえましょう。

まぁプリキュアEDでのような、ストーリー外のエンターテイメント的な表現で使用する分にはそれほど気にはならないのですが、
「アルペジオ」のように本編中のキャラクターの動きすべてがそれだと、かなり違和感があります
アングルがちょっと変わっただけで、顔面が平面で鼻や口の凹凸をぜんぜん感じないし、CG特有の手指の動きに不自然さを隠せないので、キャラクターが登場するシーンでは、ゲームのイベントシーンを見てる感覚にしかなれません。
というか、さながら「アルペジオ」の背景設定の中「3Dカ●タム少女」で作った女の子を動かしてるような感覚、といったほうが近いでしょうか。元のキャラクターがかわいいのに残念な感じです。
でもまぁ、こういうのが好きな人もいるんでしょうし、私個人の主観であるということは付け加えておきましょう。

CGモデリング&アニメーションは、通常のアニメーション制作に比べて楽&金がかからないといわれていますので、まぁその辺の問題もあるのでしょうが、
「APPLE SEED」とか、あの辺くらいのクオリティにする気がないのならできるだけ描いてほしいと思う次第です。

拍手[0回]

というわけで昨日の流れから「ゾイド新世紀スラッシュゼロ」を全話視聴終了。

©1983-2006 TOMY  ©ShoPro

う~ん、やはりゾイドはよい。
といいつつもジェネシス以降は見てないんですけど( -ω-)y─┛~~~

これが2001年に放映されてたアニメだなんてねぇ。
今見てもぜんぜん遜色のないクオリティのCG。

のちにSEEDとかでCGがふんだんに使われることになるのだけど、
アークエンジェルの離水シーンとか、エターナルの機動シーンとか、
プラントの全体映像とか、基本的に艦船みたいな
あんまり動かないオブジェクトを動かしているにすぎず、
ゾイドみたいに手足がわしゃわしゃと動くアニメは後にも先にもあまりなくて
アニメ界退化してるんじゃねーの?って思っちゃうくらいです。
最近で唯一感じたのは、「コード・ギアス 亡国のアキト」1話の冒頭で
アレクサンダの大群がわしゃわしゃするシーンですかね。
でもあれ映画だしなぁ…。
地上波クラスではそうそうお目にかかれないのです。

まぁCGは使い回しがしやすいのもあって、バンクシーンもそれなりに
多かったのは確かだけど、それでも今あのクオリティに近いものは
なかなかお目にかかれないのも事実です。
最近では、バトスピや遊戯王のような召喚デュエル系のやつとか、
夜中やってるサンライズのロボアニメは、そこそこがんばってる感じはしますね。

あと特撮がCGがんばりすぎてひどいことになっている感じもします。

スラッシュゼロは26話構成だったので見るのもすぐでしたけど、
内容的には「あれ、打ち切り?」って感じるほどの終わり方。

実際は打ち切りじゃなくって前作の無印ゾイドがスラッシュゼロ分の枠を
食って延長されたのが原因らしいのですが、それがなければ
もう少し面白い展開になったのかなぁ、と思ったりもします。
まぁそうなったとしても、

リノンの性格は変わらなかったと思いますが( -ω-)y─┛~~~

今度暇があったら無印全話とジェネシス以降の2本も見てみようかなぁ、と思います。

それにしても、パンツァーのあの過重演出はやりすぎ感ありますかね
シャドウフォックスがでっかいビーム背負ったときは納得しましたが、
もともとCASに織り込まれている武装が、使った瞬間関節が過熱状態になるって、システムとしてどうなのよ?って感じです。
結局1回バーニングかましてアーマーパージしなきゃならないなんて、
どうみても欠陥品としか思えない。ビットがつけたがらなかったのもうなずけます。

4クール枠ちゃんととれてれば、バーサークヒューラーにも
CASがついたんじゃないかと、巷では考えられています。
まぁ荷電粒子砲とバリアしかないんじゃ、ゼロに勝てないのも当たり前ですし。

そういえば、ライガーゼロのCASの中にはバリアはありませんでした。
ホバーカーゴに搭載しているのだから、トロス博士ほどの腕があれば
第4のCASを作れなくもないと思うのですが、どうなんでしょうか。
やっぱ主人公がバリアで籠ってるとかっこよくない、とか思ったんでしょうか。
そうだとするとシールドライガーにとても失礼ですね…w
(無印ゾイドの前半主人公機です↑)

拍手[0回]

 フジテレビのノイタミナで放映していたアニメ、「あの花」こと
「あの日見た花の名前を僕達はまだ知らない。」が最終回を迎えました。
ネタバレになるので、内容は話しませんが、
「やっぱり」という感じの展開で終了でした。
別に悪い意味ではなく、いや、悪い意味でも、なのかな。
「あの花」最終回を見てこみ上げてきたのは、
「あの人にまた会いたいな…」という思い。
もちろん、話の流れからして、すでに亡くなっている人のことです。
それも、人生半ばにして会えなくなってしまった友人たちのこと。
3人ほどいます。

1人は、私のいっこ上の先輩で、30そこそこにして原因不明の心不全でなくなったTさん。
生前より「私は太く短く生きる」と豪語しており、皮肉にもそれがかなった形での大往生でした。
でも、生きていたら、もっと話して、楽しく遊んでたりしてたかもしれません。

2人目は、昨年末期がんで亡くなった、Eくん。
とはいえ、彼はネットで知り合った人で、顔を知りません。
8年間、某オンゲでずっと一緒のコミュニティにいたので、普通の友人以上の関係であったと思っています。
大型バージョンアップもせまっていた土曜日、彼のリア友から訃報を聞かされました。
実は明後日が彼の命日です。

そして3人目は、23歳という若さで亡くなった、Aさん。
彼女も実は、ネットで知り合った子で、顔を知らないのですが、
あるとき何気なしに彼女の相談に乗ってあげたことで、私のことを慕ってくれるようになりました。
私も彼女のことが好きでした。彼女が死の病にかかっていることを知ったときは、
どうしてあげたらいいか、悩みましたが、極力一緒にいて話を聞いてあげたりすることにしました。
そんな彼女も、病気を理由に去って行ってすぐに、帰らぬ人となりました。
彼女の命日が3月3日とか、皮肉なのかユーモアがきいているのか・・・

私の人生の中の後ろの1/5の間に失った人の存在はとても大きくて、
会えるものならもう一度この世で会いたいなぁ…と、感傷的になったりしたのです。
もっと話しておけばよかった、もっと一緒に遊べばよかった、そして一度でも顔を見たかった…
悔やんでも戻ってこない日々。
もう少し外にも目を向けようかな…と感じています。
だって、別ればっかりじゃ、耐えられなくなるから…出会いを増やさないといかんな、と。
しかし準ひきこもりの私にとって、外でなにを探してどうすごせばいいのかって、想像つかないんだよね。
どうしたもんだか…;

拍手[0回]

4/8(土)に「ウルトラマンメビウス」が始まりました。
今回のウルトラマンはなんと、ウルトラマン生誕40周年記念番組ってことで、

光の国から来たという設定。

しかも、ウルトラセブンと同じく、

本人直接降臨。

アツイじゃないですか。

そしてなぜか第二話にグドン。

グドンといえば「帰ってきたウルトラマン」で、あの萌え系髪形でお馴染のツインテールと一緒に出て来た地底怪獣。「ウルトラマン」で登場した怪獣テレスドンの弟怪獣だとかなんとか。

第一話の冒頭シーンではウルトラの父がメビウスに「ウルトラマン」の名前を授けるシーンから始まってます。
オープニングにもウルトラの父、ウルトラの母、そしてその他のウルトラ兄弟たちも登場するのです。
もしかしたら話の中でもウルトラ兄弟登場するんじゃないかと期待して見ましょうかね。
人間時の姿はあまりに歳とりすぎてそうなんで、厳しいかもしれないけど。

拍手[0回]

忍者カウンター
カレンダー
04 2024/05 06
S M T W T F S
1 2 3 4
5 6 7 8 9 10 11
12 13 14 15 16 17 18
19 20 21 22 23 24 25
26 27 28 29 30 31
プロフィール
HN:
SIL
性別:
非公開
ブログ内検索
QRコード
Copyright ©   なんだかよくわからないけど、やってみる。   All Rights Reserved
Design by MMIT simple_plain Powered by NINJA TOOLS
忍者ブログ [PR]