長文になります。Twitterではつぶやく程度の文字数には絶対収まらないので、ブログにて記します。
アニメ「ソードアートオンラインⅡ」が最終回を迎えました。
※ここから先はネタバレを含みます。
小説を読んだ方や、リアルタイムでアニメを観た方ならすでにご存じだと思いますが、「SOAⅡ」の後半は、「マザーズ・ロザリオ編」というエピソードで、ある病気の末期患者である少女ユウキが、ヒロインのアスナと出会い、死を迎えるまでの日々を綴った話になります。
私は小説を読んだことがなく、アニメから観たクチなので、最初のうちはユウキのCVが悠木碧さんだったのもあり、「ユウキ明るくてかわいいなー」みたいに思っていました。
しかし、ユウキがAIDSの末期患者で、メディキュボイドという医療用フルダイブ装置を利用して、電脳環境の中で3年以上もの闘病生活をしている、終末医療の話であることを知った時、衝撃が走りました。
だいぶ前に、このブログでも公開したことがありますが、MMOの中で仲良くなった人が重篤な病気の末期患者であることを知らずに付き合っており、そして結局亡くなってしまうという、アスナと同じような経験を私もしていました。
しかもこの10数年の間に、二人。同じゲームの中で、でした。
そのうち一人には、アスナが最期にユウキに言った言葉と同じようなことを言った覚えがあります。「またどこかで必ず会える」と。
彼らと同じように、ユウキもまた、最後には死んでしまいます。
詳細な描写は長くなるので控えますが、私も感動はしました。うっかりユウキのことをwikiで調べてしまい、彼女の結末がわかっていたのにもかかわらず、涙が止まりませんでした。
ですが、私がこの作品を含めた、「病気(特に重篤な末期症状)をテーマとしたエピソード」に思うことは、「好きになれない」ということです。
なぜなら、大抵の結末はその患者であったキャラクターは、「手遅れで死んでしまう」からです。
ユウキはかわいいし好きなのですが、この話の「展開」自体が嫌いです。
それは、アスナと似たような経験をした自分のトラウマのような感情でもあるのですが、なにより「末期患者は死んで感動を与える」という展開が気に入らないのです。
人が死んだことで、感動などまずありえない。あるのは残されたものへ与えられた深い悲しみ、後悔、喪失感などどいった、ネガティブな感情しかありません。
「彼女もこうやって一生懸命生きてきたのだから、頑張ろう」とかいうのは、そういった感情を受け止めた人が時を経て培っていくものであって、フィクションのネタにされていいものではないと思っています。
そもそも、フルダイブという便利な環境があり、なにが起きても不思議じゃない設定の世界なのだから、「精神だけALOの世界に残る」とか、そういった、多少明るめの選択肢もありだったと思います。人間並みの感情表現を持ち合わせたAIのユイという特殊な存在がいるのだから、主人公のキリトが「その逆をやってみる」的な展開でうまくいく、みたいな。そういう感じになっても誰も悪くは言わなかったでしょう。
暗いテーマのエピソードなのだから、最後はなにかしらハッピーエンドにしてほしかった、と私は思います。シウネーの病気が完治した、というのがささやかながらそれにあたるのかもしれませんが、ユウキが死ぬのであればあまり意味はないし、そういう「不思議」はユウキにこそ起こって欲しかった、というのが私の見解です。
これはもちろん、すでに出版・放映されてしまった結末を否定するものではないですが、少なくとも「私は嫌いな話」です。自分の経験したことと似たような展開にされたことが、受け入れがたいわけです。
まぁこんな場末の、ブログという時代遅れのコンテンツなど、見る機会もないでしょうが、もしSAOの筆者である川原礫先生が見る機会があったのであれば、こういう人もいるのだ、ということを心に留めておいていただきたいものです。
最後に言っておきますが、私は決してSAOという話が嫌いではなく、むしろシニカルで、スリルがあり、多少吐き気を覚えるような世界観は好きな方です。その中でクラインが生き残っていたことにはそこそこ感動しています。
だからこそ、「マザーズロザリオ編」には何か、反発せざるをえなかった、という自己分析にて締めさせていただきます。
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